魚は大きくして獲るのが一番! |
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小型機船底曳網漁業部会長 岡鼻 新一 |
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部会として週休2日制を決めたのは1986年(昭和61年)のことです。今考えてみると本当に良かったと思っています。昭和40年代は、お互いに漁獲競争でした。瀬戸内海沿岸も工業化、都市化が進んで産業排水、生活排水で漁場は荒廃する一方で、魚は、目に見えて獲れなくなってきていました。しかし、生活のためには、魚を獲りまくるしかなかったのです。 そんな時に、三菱石油の重油流出事故が起きたのです。対岸の水島から流れてきた重油が海岸一帯を真っ黒に埋め尽くしてしまいました。1か月というもの重油の回収で漁ができませんでした。そして回収作業が終わって漁に出ると大きな魚が獲れたんです。そしていい値で売れました。そこで自分達は魚を獲る競争だけしていたのではダメだということがわかったんです。海にも休みが必要だということがわかったんです。魚をとることだけが目的ではなくて、その魚を売って生活するのが目的ですから、苦労して小さな魚を獲って、安く売るよりも、休みをとって大きな魚を少しとって高く売れたほうが、体も楽で、生活も良くなるというわけです。
週休2日といっても、船を海に出さないということだけで、網の修理や翌日の漁の準備と結構仕事はあるんです。今のように資源管理型漁業という言葉はなかったですが、やったことは、資源管理だったんですね。家族との関係も良くなりましたね。何しろ、底曳船の仕事は、朝3時に出漁すると夕方5時頃でないと港に帰らない長時間労働です。家族と話したり、子供の相手をする時間もないんですからね。
今は、週休2日制と合わせて、資源の維持を図るために、「操業時間の規制」「網目合い制限」「体長制限と不売運動」「幼魚の即時放流」「放流海域の一定期間の操業禁止」「抱卵ガザミの買い上げ放流」「種苗の中間育成」など、今は皆で力を合わせながら、限られた資源を大切に使っています。 |
→庵治漁協資源管理 |
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