----- 前浜の天然資源を有効利用 (P2)-----
岩手県・JF久慈市
手狭だった市場に空きが…
向井啓益さんと鮭

 久慈市漁協は昭和 40 年( 1965 年)に市内の8漁協(久喜・小袖・大尻・二子・久慈浜・夏井・南侍浜・侍浜)が合併して誕生。久慈港に魚市場を開設し、前浜で漁獲されるサバ・イワシを中心に 1990 年代前半までは県下トップの水揚げ量となっていた。また、陸中海岸国立公園北部に当たるこの地域には良質のワカメ・コンブなどが育つ岩場(磯)も多く、これを餌とするアワビ・ウニの大産地でもあった。昭和 59 年( 1984 年)の総水揚げ量は 21 万dで全国 9 位、市場は手狭になり「将来はこの位の施設が必要」と将来を見込んだ現市場の建設となった。しかし、意に反し昨年の水揚げはついに 1.5 万dまで激減した。窓口になってくれた管理課の向井啓益さんは、「今では施設が逆に広すぎる状態になった。久慈沖の漁場開発を進め漁船誘致に力を入れなくては」と言う。

増養殖よりも天然繁殖を


遠藤了正組合長
  久慈市漁協の水揚げが大幅ダウンしたのはサバ・イワシなど漁業資源の減少が最大の原因で、それに伴う巻網漁船の入港が減ったためだ。「海洋環境の変化や国際的漁業規制問題も大きいが、中でも資源の枯渇が大問題」と遠藤了正組合長。さらに、「日本は同漁場に漁法の違う漁船が集まり獲る一方の漁業を続けてきた結果、今になってあわてている。つくり育てる漁業はもちろん大事だが天然繁殖という点を忘れてはならない。これを放棄したら漁業は完全にマヒ状態だ」と。この地域では昔から漁船乗組員の供給基地で、「高校を出ると半分は北洋サケマス漁船、遠洋マグロ漁船、海外・沖合巻網漁船などの船乗りになっていた」そうだが、「今の高校生は“漁業には経済がない”と言って船に乗るのは数人になった」そうだ。



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