海で生きる唐丹
きれいな青い海がひろがる入江
 唐丹地区は、三陸海岸の釜石の中心から南へ10キロ程の所にある漁村です。深く入り組んだリアス式の奥にある7つの集落からなっている唐丹。隣の地区に行くには海上なら直ぐなのに、陸路では大回りをしなければなりません。一つ一つの入り江には、汚れていない青い海がひろがっています。全所帯の7割が海からの収穫を頼りに暮らしているのです。ワカメ、コンブ、アワビにウニ、ホヤにホタテ、サケ、イカナゴ、イカが主な漁獲物です。唐丹漁協の組合員は全部で543名。水揚げ金額はおよそ13億円です。
 この浜でも、海の汚れが気になりだしたのは、昭和40年代の後半です。日本は高度経済成長期に入り、電気洗濯機の普及とともに、何処の家庭でも合成洗剤を使い始めました。都市近郊の海岸線が白い泡で覆われ、あわびの稚貝が死滅したというニユ−スが毎日のようにテレビや新聞が報じていました。唐丹でも、自分たちの海は大丈夫だろうかと考える日々が続きました。沿岸の資源に頼って生きなければならない唐丹の人々にとって、きれいな海が失われることは死活問題でした。ともかく、自分たちで出来ることからやってみようと立ち上がったのは、浜の婦人たちでした。昭和55年のことです。合成洗剤による海の汚れ、公害の恐ろしさを外に向かって訴えるのではなく、身近な家庭の中から見直してみようという呼びかけは地域の人々からも歓迎されました。小さなことでいいから、出来ることからやってみようと、当時、台所や洗濯に何処の家庭でも使っていた合成洗剤を石けんに変えることにしたのです。この頃、漁村の婦人たちが集まると、合成洗剤の被害がよく話題に上り、これを防ぐための実践活動の体験発表が始まっていました。唐丹の婦人たちも、まず、講師を招いて合成洗剤の恐ろしさを勉強することから始めました。
天然石けん「わかしお」
皆が納得すると行動を起こすまでにあまり時間はかかりませんでした。婦人たちは、漁協の働きかけて、地域の商店に置いてある合成洗剤を買い占めてしまいました。そして、浜で焼却してしまったのです。各家庭には、漁婦連ブランドの「わかしお石けん」がすこしづつ浸透し始めました。漁協の購買部にも「わかしお石けん」のブランドが勢ぞろいしました。婦人たちは、誰でもわかしお石けんを買いたい人は何時でも買えるような体制作りを進めたのです。
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三陸・唐丹の浜で
海で生きる唐丹
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